算命学宿命による昇運方法

昇運の方法 算命学

⑥宿命による昇運

ここまでを少しまとめてみますと。人は宿命によって天地と一体となっており

今まで自分だと思っていた自分の奥に、もう一人の「本当の自分」がいてこの自分は、生死を超え現象界を超えて宇宙間に存在する「永遠の命」であり、この生命が「ある使命、役目」を帯びて、地上に出生する時、
三分の一の知能、意識、心と結合し、肉体を宿として「人間」となって命の旅を続ける。

命は、役目を果たす(宿命を消化する)為、宿命の周辺を進みながら「幸せ」を求めて人それぞれの生き方をするが、三分の一の自分が、今迄幸せだと思って追い掛けていたものは、実はほんものではなく、「本当の幸せ」とは、三分の二の「魂」が歓喜するものを言い「本当の幸せ」を得れば、その中に自分が欲した物も自然に与えられている

又人生には、色々な禍いや不幸が待ち受けているが、その本質は、宿命の「軌道 修正作用」で
「器である肉体」の掃除の為の「浄化作用」であるから、敢えて逃げ廻る事はなく、(十の幸せを得る為には十の不幸を消化するのが基本である)
「幸せを得る為には」不幸を耐えて消化するか、積極的に不幸の原因を解消して終う以外にはない。

即ち、ほんとうの幸せを得るとは 「悟り」であり、幸せを希う心は、霊等の向上への魂の願望で、宿命を消化した(幸せを得た)
とは、魂が本源の大霊(宇宙意識)に同化した事を言うとなりました。

◯「魂、本当の自分」は、生死なく不滅であり、それには、前後七代に亘る宿命が宿る。

◯自分とは、何十億かの先祖と、子孫の代表であり 凝縮された命である。

◯地上に顕はれた命は「我執」をもち、自分で歩こうとする。

◯自分が選ぶ道が「運命」を定め「運勢」をつくる。

◯自分が生きている限り、どう歩くのも自由であるが、宿命の枠を外れる事は出来ない。
否、出来るが外れると損である。

◯宿命の消化とは、命の役目を果たし、霊等を高め、本元の気に近づく事である。
「原典算命学大系」と言う本に

原典算命学体系
「人は宿命(役目)を帯びて世に顕われ、その生存期間内に宿命を消化する事によってのみ、霊等の向上を得る事が出来る」とあり、又 「人の一生には、必ずその人が消化しなければならない、一定の量の幸と不幸が備えられており、一方だけの人生は誰一人なく、
幸せを得る為には必ずそれに見合う不幸を消化しなければならず、又、宿命にある以上の幸せを取る時は、自分の中の他のものか、或いは代理の人による 「代償 」を提供しなければならず、その 帳尻はピッタリ合うのである」
この帳尻とか、バランスと言うのは、吾々が生きている事が出来る地球上にある 「自然律」を言い、地球自体が生きて行く為に、照る日が続くと雨を求め、夜は昼を産み、エネルギーが貯まると、地震や噴火を起こす等と、すべてを調和させて、万全の営みを得ていると等しく、「自然の一部である人間」にもそのま、の法則が働いている。と言う事なのである。

然し、人は自分の立場、都合で「幸だ、不幸だ」と一喜一憂愛する
それを自然の側から云うと、「人が幸せと感ずる事も不幸と嘆く事も皆、人を生かす為に必要な仕組みであり、自然の恵みなのである」と言う事です。

自分に与えられた宿命とは、その自然の意であり、メッセージの訳ですから、宿命を消化するとは、自分に与えられた自然に添って生きれば良い」と言う事で難しい事でも何でもありません。

その自然の意を知る事は、「宿命を知る」にあったように、「ありのままの自分をそのまま見る」だけで良く、そして自分に与えられた出生や、生存環境に素直に従い、性格や与えられた特徴を使って、時代と自然環境に適応して生きて行きなさい。
そうすれば、生を運ぶに必要なものは自ずから、すべてに満たされ、思う事為す事、ことごとくがスムーズに生きて行けると言う事です。

ただここに一つ言外に。

宿命に対し、受動的に生きる事。
細かく言えば自分に対して起こる、身辺の状況に逆らわずに生きる方が良いとも、書いてある事をつけ加えておきます。

この生き方は、分に外れた欲望を追って駆け廻り、無い才能を振り廻し年ら、肉体寿命を喰いつぶし、生活に追いかけられ、人の嵐に小突きまわされ作ら汗を流して、死に向かって膜走爆進を続ける人生に比べると、その生存価値と成功の度合いは天と地の差があります。

くどくなって申し訳ありませんが、ここでもう一度、先の置き換えをさせて頂くと。

人は、神仏を帯びて生まれ、生きている間に神意仏心を現わす為に生きるのであり、その現わし方とは、神意に素直に従った生き方、自然に従う生きかたの事で、我意で生きるよりもずっと楽でありながらすべてに満たされた人生を送る事が出来ると言う事です。

ともあれ、この一人一人に宿る宿命を証し、その一番有効な消化の仕方を教えるのが、玄明館神占術であり、実際に貴方が自分で幸せに向かって真っすぐ進まれるお手伝いをする事が、霞堂の宿命の消化法なのです。

宿命による昇運は、ここ迄のまとめの様な面と、もう一つ宿命の星を、キラキラ輝かせて運ぶ面とがあります。

人には生まれつき下図の「五つの幸せ」が与えられて世に出ます。

「五徳」と言ってこの世の中で生きて行く為に、貴方に与えられている「幸せの材料」ですが、五つの要素は均等ではなく、人によって皆その持ち分に差があります。

『福』は幸福感、満足感の事で、仮に一億の財を成した人が何人かいたとしても、一人一人にその価値観は異なり、
己を知り、足るを知って、大いに満足する人もあれば、
一億が不平不満の種となる様な人も、当然いる訳です。

『寿』とは寿命と健康です。

『禄』は一生に与えられている、お金と財産の量と内容です。

『官』は地位や名誉。

『印』は智恵であり智恵の極致は、悟りです。(五徳もそれぞれが貴方と同様に生命をもち例えば財には財の一生があります)

福寿禄官印

次に「五本能」と言うものが備わっており、これを使って先の「五徳」を手に入れなさい、と言う訳ですが、これも人により、マチマチバラバラです。

五本能

意味は、文字の通りです故省きますが、この二つの図に、
それぞれ一生分の基となる 「点数」が入り、その量と割り合いを表わします。(普通の人で総合二百点前後)そして、それがその人の 「特徴」であり、「性格」で、もある訳です。

もう一つ、図があります。自分を助けてくれて、生きる人物が自分に備わっているのです。(宿命三図と言います)

この三つの図を読み取るだけで、「あぁこの人が会社を持てばここ迄は成功するな」とか、この人は印と禄が多くて、伝達本能が発達し、目下が良いから教育者で物を教えれば、大財を得る人だ。

これは、伝達と魅力本能が強いから、芸術畑か芸能界の人だが、惜しい事に寿が乏しいから、病身か短命である」の様に占うのではなく読み取れば良く後はそれに合う生き方をするだけです。

前三図が宿命の「自分の本質」を示しているのですから、それぞれの星(図に表れたものは「宿命の星を投影」したものです)を、例えば、一番高い点の財を得る為には、特別に強い攻撃を使えば簡単に手に入るとか、親の跡を継いだ人なのに、親、目上、の恩恵が乏しいから苦労をしている

しかし部下や子供には恵まれているから、持ち前の守備本能を使って、じっくり守れば、子供が後を継ぎ、
発展させてくれる人だ。

等々と、大筋の宿命と、今の生き方を合わせて見るのです。(宿命基本観貞と言います)
そうすれば、何故不遇なのか。
どうすれば成功に逆転するか。等が、百発誤ちなしに見えて来る訳
後は只誰にでも宿命的に一つ以上は必ず与えられている大きな運を頂くだけで良いのです。

然し、人間と言うのは、そんな簡単で素朴な生き者ではありません

一日、マバタキの数だけ考えると言うから、二万回位は何かを考える訳です。

だから、宿命なんか
は知ったこっちゃないと、奔走迷進をしてくれます。

そして、失敗して頭をごつんとぶつけたら、自分で宿命の近くへ戻ってくるとかあまり暴れ方が激しいので、大厄災を与えられ、泣く泣く戻される場合もあります。

それ等を含めて、十年単位に、その人の流れに影響し、時には宿命さえも動かす位の力を持った星が廻って来ます。

これも、星の持つ性質を出し、点数に換え表示し、先の宿命の各星の(点)と足したり引いたりしながら人生を計算して行く事から「命を計算する算命学」と称され、大体一人の人を、220個位の数字を使って「算命」して行きます。

この十年単位に廻座する星の他に、毎年毎に訪れる星、月々に来て宿命星に作用する星と、人生星だらけの観を呈し、これ等の「廻って来る運」を、宿命に対する「行運」と言い、又宿命の「先天運」に対する 「後天運」と言い、人の智恵判断と相侯って「運命」を織り成して行きます。

この宿命の星を使って運を上げて行くのは、皆さんには無理な事ですから、判ったり覚えよう等と考える必要はありません。

霞堂が貴方にとっての「最高の運」を提供します。然し、人によっては「どうせ瞬きの間の一生に夢の生涯を終える身なら、穏やかな幸せ等は糞喰らえ、天下を狙って一暴れ」
と考えるならば「凡夫昇天」と言って、例え極く平凡な宿命を与えられて世に出た人でも、風雲を呼び嵐に乗って中原 に覇を唱える事も神仙術では容易に叶います。

例えば 「美空ひばり」「石原裕次郎」「三島由紀夫」「田中角栄」氏等の世界です。

この場合「天中殺 」と言う大凶殺意を持つ強大な星の力を逆用して宿命の枠をぶち破って天空に舞うのです
から、一つの「爆昇運 」以外のすべては犠牲に供さねばならず、又終末の空しさは避ける事が出来ません。

宿命中のすべての持ち分を 「魅力」とか「財」や「名誉」等の一点に凝集しています。

それに対しこのブログですすめる宿命に合わせて努力辛酸を重ね運命を創り上げて天下を制したタイプは
「吉田茂」「松下幸之助」「川上哲治」「王貞治」氏等の世界で、終りを全うし家系の繁栄を得ています。

前の爆昇運を使った天才型に対して、「求道者タイプ」の人達で地道な昇運です。

最後は宿命で悟りを得る昇運ですが、普通は、宿命の運の弱い人、これだけは「お気の毒に」としか言い様がありません。

しかし神占術には、この人にも救いの手を提供して、極意とするのですが、そうで無い方にとっても、「人間究極の理想の生き方」として 「宿命を超える生き方」と言うのがあります。

「生ま身の躰で、生死を超越する」と言うのですから大変です。

生き作ら宇宙生命に帰化する。
とか、人間を超え、地上に在って彼岸に生きる。

と言う様な世界で従来の出家の世界ですが、それでは駄目だと言う答えが現在の宗教専従者を見れば解ります。

こう言う方は、御希望があれば、私と一緒に仙道の同修をして 「和光同塵」と言う在家無私の場で「利他往生」の中から本元への帰一を求めて行く事も出来ますが、普通は自分の宿命を使って 「目に見えない偉大な力」と一体化します。

即ち、人間自身を考えるにしろ
人間について離れぬ運を語るにしろ
又、誰もが求めて止まぬ幸せを論ずるにしても

この、「見えないもの」「支配している力」を味方とする以外絶対に最幸を得る事も、真理に至る事も出来ないのですからその力を得るのです

古来「見えない世界に帰化する事は、『正覚』を得る」と言って、人類は二千年の課題として取り組んで来たのです。

しかしそれを覚知する前段階の

「真我」
「仏性」
「分け御霊」
「宇宙意識」

と言われるものが、「見える」段階の悟り「見性」に至る人も極めて稀でした。

それは、三分の一の知能や心情で識ろうとするからに他ならず、自分に「本来備えられ作ら、奥深くに眠っている」「本源の魂」そのものを覚醒させ、輝やかせてやるならば、容易に得る事が出来る悟りゆえ見えないものを「見えないま、に信じ切る」との宗教の世界からは得難いのです。

まして表層の運命による幸不幸を弄ぶ「一般的占い」等は論外であり、唯一の法が「神占術=神の占い」です。

この「悟り」は修行も勉強も不要で貴方に関与している神意仏心や自然と言う「見えないもの」を 「宿命」と名付け星と言う記号で示し数字で計算して貴方の生存現場へ提供するので、そのまま貴方と一体となり、誰もが自分の人生を深く悟り、運を超えた運を得られるのが「超占法」の名の由縁です。

 

 

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