門外不出の密法は京都御所と江戸城に施されていた!

京都御所 算命学

門外不出の密法は京都御所と江戸城(現在の皇居)に施されていたことがわかりました(*’▽’)

古から伝わる『自然思想』が日本にあたえた影響と歴史について読み物として眺めてくだされば幸甚に存じます。

かごめ
かごめ

難しい言葉が続くかもしれませんけど読んでくださったら
凄く嬉しいです(^^)/

かわせみくん
かわせみくん

途中で『かごめ』とボクがナビゲートをさせてもらうね♪

 

 

蓬莱山神仙境大宇宙盤精髄ほうらいさんしんせんきょうだいうちゅうばんせいずい

本法は施術の盤体に宇宙本元の大極を招き、陰と陽、有と無、気と象、天と地、霊と体の完全調和の相を凝縮し

宇宙の実相を地上に顕章する法で、従来門外不出の密法である。

本盤を配する場には地上での最貴最強の気界が生じ、唸りを発して回転しつつ四囲周辺へと波紋拡大し、無限無窮の発展を続け、中心に在る土地、家、人物を繁栄せしめる。

その法果の及ぶ処は一事一象に止まる事なく万能の力をもち、法徳は一身一族の栄達は言うに及ばず子孫末代に至る迄止まる事が無い

 

本法術の由来、伝承

神仙道

 

神仙のイメージ

吾が国の縄文から弥生時代にかけ、 お隣りの中国では既に相当な文明が開化し、 今日の社会の中枢を成す思想、学問とそれに基づく実証体現の法が形成されていた。

即ち吾々が在るところの宇宙、自然界の実相を解明し、 それが地上の人にとって何を意味するか、 人間は何故に生れて来て何故生きて行くのであるか等を天に問い、結果人は自然界を形成する一員であり、 自然に従い同化して生きるのが唯一の幸せであると覚ったのであるが反面、自然は輪廻を重ねて、無窮不滅である故
人も又転生不死の命を重ねて種族の繁栄を求め得ると考え、自然帰一の行修法「神仙道」 が成立した。(俗説にある仙道は不老不死の個身を求める行なりとあるのは道教が神仙思想を取り入れ混交作出した異説による)

仙道には一般に言う処の神、仏は不在であり人間が従う可きものは唯一、自然界の森羅万象を生み、在らしめている宇宙の本元から発動する気

即ち「大自然の法則」 のみであり、 神や仏はそれを行使する役人的存在なりと解してます。

故に仙道の世界には本尊は元より組織教団はなく伽藍、 道場も要とせず只、花鳥風月を師に、山野を友とし、日常普段の生活を行修の場としつつ、 常に身辺に働く自然の法則の中から自らの真我を顕彰し、その自分を主人公として、 地上に理想の楽園を作り出そうとする具体的な手段方法なのである。

この道に開祖はなく「今ここに己が存在している」 との絶対の真理を元に万人共通の願望から自然派生的に生じており、本元の気「道」を説いた「老子」の自然観と人間観を先覚の大導師と仰いでいる。

何故占いの典拠に自然哲学が介在するのかと疑問があるかも知れぬが、実は真物ホンモノの占いとは、この
老子の「道」と孔子の「易経」、そして鬼谷子と言う仙人の唱えた「算命学」と言う人間学を究極の拠り所としないものはなく、故に本来の占いの定義とは宇宙の本元と炁(気)、そして大自然の法則から人間の理想を求める総合的な自然科学なのである。

老子:「道」
孔子:「易経」
鬼谷子:「算命学」
かわせみくん
かわせみくん

神仏が不在って…凄い考え方だよね

 

かごめ
かごめ

全くいないんじゃなくて神さまも仏さまも宇宙の気の分身で
神仏の一部が人間ってことなんだろうね♪

算命学

前項での、古代の人達が捉えた宇宙自然観は宇宙の中心には名称をつけ様のない巨大なパワーを発する何かがあり
それが相反する陰陽の気を生じ、そして無限の運動、拡大、循環、分裂、融合、バランスをくり返し作ら無の世界と有の世界を存在させている。とあり、それに働くエネルギー波動を
「気」と名付け
陰と陽の気を以て成る自然界(有形の世界)のすべての事物事象を「十干、十二支」と言う記号で表わし

天気

その個々の意味合いと無数の変化を読み取る事で自らの身辺に及び常に作用している「気」を知り、己を悟(し)ると共に宇宙の真理と自然界の法則(理)を学び、その天意に従いながらそこに働く巨大な力を吾が為の用となす方法を模索し続けたのである。

即ち前項では宇宙と自然界が主人公で人間は従僕であったのが、ここでは宇宙の中心に立つ「吾」が主役となり、私を在らしめ生かして行く為にこそ自然万有があり、それを如何に有効且つ強力に自らの為に働かせるかと言う技法と実践実証の世界を求めた結果、実に合理的で現実的な総合的人間学が完成されました。

それを鬼谷と言う土地で私塾を開き教えたのが鬼谷子であり、そこからは史記戦国策の
主人公「張儀」「蘇秦」を始め韓信、孫子等の他無数の歴史的人物が輩出したのであった。

この算命学を自在に駆使する者は個人の栄達等は当り前の事、天下国家を手中にし覆を唱えるのもいと易いと言われている。

算命とは「命を計算する」と書き人の一生の成敗はもとより家系の前後七代に亘る栄枯盛衰を明らかにするとの意と「天命を算る」とも読み、その人にかかる出生の意義、命の役目(宿命と言う)を明観すると言う意味を持っている。算命学の内容は「五行十方界」と言います。

天地

五行

陰陽五行、気の理論。天文、歴法、干支術等の基礎学習である。

算命学に基づく占星術で宿命を消化する為の運命の選択をはじめ最高究極の占技占法を網羅
しており、その極意書「算命学十六元法」には160種を越す占いの秘伝が述べられている。
その内の一元法を取り出して成立したのが今日吾々の身辺にある星占い、地相家相、方位、手相、人相や姓名術等の「単独の占い」であり、例えば良く当るとされている「四柱推命術」は9世紀、唐代の学者李虚中により十六元法中の天法と地法を使って体形づけられており、

又「奇門遁甲術と気学」の元になっている法術は八門法と言う一元法で成り立っている。

ちなみに中国では今日でも占いと言えば「算命術と易占」を指すのが普通で、他の枝分れした
単独の占いは「雑占」 と言い局部や一時的な開運に限り使われているのが実態である。

卜占占筮と易経の哲理を利用した諸占法である。

 

相術で土地、 家、墓等の座相と人相、 手相、 骨相、声相等の動相があり、他に姓名等も含むが前記の占星(宿命) や周易等を用い 「気」 を観望操作する事を不可欠とする故、一般に言う相術とはやや内容を異にする。

呪禁、霊符の法と心霊界の作法や祖霊祭祀等を指すが他に予言、気掌術等も抱含する。

導引術を主とした調体整身法や服餌(ふくじ)、吐納法(とのうほう)等による予防的保健壮寿の諸法。

羽化登仙(うかとうせん)と言い仙人になる為の行修法で、 ここには学習がなく口訣領導による体法である。

揣摩

衆を意のままに動かし個人に対しては凡庸を君子に変えたり、君子を廃人に化す等と生死活殺自在となす神技で軍師や将軍宰相が学んだものであり、これを使う人を「縦横家」と
言い以来2000年の中国の放伐興亡(ほうばつこうぼう)の歴史を演出したのであるが、その兵法戦術や謀略のバイブルとなったのが鬼谷子の著「揣摩の書」三巻十九篇であり、吾が国の戦乱の歴史を見ても名のある武将や軍師は殆んどこの書か弟子の「孫子の兵法」を学び且つ用いたのであった。

王道

帝王学であり、王やその後継王子に対する直接教育で統轄、治世、政策から徳望迄の万般に亘る

大学

道学、儒学、 算命学を中心とした高等教育で、傑出した超人聖者の育成法。

以上が十方界の内容であるが、これがつい百年位前迄の東洋諸国の最も高い知識階層の表の学問、
教養でありこれに通じた人を「九流の術師(きゅうりゅうのじゅつし)」と言った。
この内の「命、卜、相、霊」の四方界が今日で言う占いの世界であるが、俗に言う占いとはまるで内容が異り本玄の気(マクロコスモス)と内玄の気(ミクロコスモス)を顕証行使する神通術、 活人学の超占法なのである。

然し近代に至り西欧の機械、武器文明の支配を受けてからは非科学的との塔印を押され、古来の思想を否定し蔑視する事を以て識者の条件とされたのであるが、最近では最貴万能を誇った西欧文明も自らその矛盾限界に気付き、東洋的、唯心、総合、自然の科学に憧憬の目を向けたのである。

然し何れにしても無形(東) 有形 (西)の片方だけが専横主導している内は人類の進化は後退し戦乱搾取の愚蒙の世が続くことはここ迄の歴史が明確に答えを出しているのであり、故に算命学は常に
「自然に帰れ」と叫んでいるのである。

神占術

上記の算命学は古代中国において国や時代をいとも簡単に変える恐る可き威力を現わしたが、それを利用した代表的な人物が秦の始皇帝であり、彼はその無碑通天の算命術を使って一介の凡民から立ち、忽ちの裡に楽の王室を乗っ取り(後年吾が国でも相模の北條や美濃の斉藤等がそれに習っている)

更に群雄を制して天下を平定したのであるが術を使った彼自身が誰よりもその威力のすさまじさに驚くと共に大きな恐怖を抱いたのである。
結果、国中にあった三千冊に及ぶ算命、易経等の学書を焼き払い四百数拾人の学者、方士を生き埋めにして殺して終うとの世に「焚書抗儒」と言われた暴挙を敢えて冒して迄算命学を秘守独占し皇統の万世不易を目指したのであった。
以来算命学と言う名前すらも世の表面からは消え去り、皇室専従の術者だけが学統を許され門外不出、一子相伝によってのみ伝承を許したのであった。

そして秦が滅亡した後も勝者となった新しい国王達は必ず算命術師だけは助け自国の枢密願問とし続け、それが共産革命で清朝が没する迄連綿と続いて来たのである

この本流を流れて伝わった算命学を「皇統系」と言い帝王学が主幹である。始皇帝が出現する五代前百年以前、秦の恵帝が誕生した時、王室に招かれこの王子を占った鬼谷子は既にこの国の興廃のすべてと算命学の前途も読み切って居り流統を守る為、自らは世を捨て「雲霧山」と言う仙山に入り道教の方士や行修者に対し算命学を教えていたのである。

この民間に流れた算命学を「仙道系又は道教系」と言い、占術と「気」をあやつってる仙道が骨子となっている。仙道系は算命術を名乗ると直ぐに弾圧を受けたり罰せられるので「神占術」と名乗ったり、部分的占技占法を独立させたりし作ら世の中の現場で活動し、中国の戦乱の歴史はこの二派の同流異門の算命術の争いでもあったのである。

吾が国への渡来は実は意外に古く、秦の始皇帝が地上でのあらゆる欲望を手中にした末に最後に求めたもの「不老不死の仙薬」 を、道教の方士(鬼谷子の弟子)「除福」に命じ、東方洋上の神国の蓬莱山から持ち帰らせ様とした事に端を発する。

除福はそこで「揣摩の術」を使い五千人の少年少女と山の様な財宝と生活実用品や文化財と技術一式の支給を受け吾が国に渡ったが、そのまま土着して二度と中国の土を踏む事はなかった。つまり始皇帝をペテンに掛けて、日本国には非常に発達した武器、農耕技術及び算命術を土産にその中枢に帰化したのであった。

ここから日本の農耕文化が始り皇室には仙道系の神占術が導入されたのである。

その事は239年「邪馬台国の女王卑弥呼」が洛陽に入貢した時の模様を伝えた「魏志倭人伝」
によれば「女王鬼道を事とし、よく衆を惑わす。年すでに長大、夫婿なし、男弟あり、たすけて国を治む」とあり、鬼道とは道教の占いを指し、つまり東方の国の女王が神占術を自在に操る人であった事に驚いているのである。

これが除福の出国から約30年後の記録であるが、中国皇室ではこの東方の国から莫大な黄金を貢ぎものとして持参した神秘な女王に対し最恵国待遇を与え、以来皇室間の交流が盛んに行われると共に、 吾が国皇室に限り門外不出の皇統系算命学を伝授し

4世紀には五経博士や陰陽博士を派遣し直接天皇家に対し講義を奉じ、歴代天皇はよくこれを学び自らの政治の中枢理念とすると共に、当時天皇家を中心に多発し続けた内乱の鎮圧や、 未だ皇威に従わぬ国内部族の征夷等
国家統一統治の主柱として実用に供しており、中国の古書には聖徳太子を筆頭に応神、継体、欽明、推古の各帝を「天道の巧みなり」と記されている。

天道の巧みとは「准南子」によれば陰陽五行論に望気、侯星、揣摩、卜筮の諸術に精通する者とあり、この事から六世紀に至り

天武天皇により完全な天皇統治の国家体制が確立される迄は天皇自身の用術として活用されていた事が知れるが、天皇家とてそうそう天才的頭脳を備えた者が続く訳はないので偉大な王と言われた天武天皇は中国の王家に習い算命学神占術を皇室独占の法術として封印する事に決したのである。

陰陽道

701年天武天皇は 「浄御原律令」を発令し、学問所兼政務推進機関として「陰陽察」を設置し、そ
の内容を最高の国家機密として厳重な管理のもとにおいた。陰陽寮の形態はその長官を「陰陽の頭(おんみょうのかみ)」とし以下、星辰観望、 算命、占筮、相地、遁甲、揣摩の「陰陽師」が6人。

陰陽大学の教授として「陰陽博士」「天文博士」「暦博士」 が各一人。時刻を管理する「漏刻博士」が二人と、 それ等に仕える職員及び皇族、公家の子弟から厳選された学生とでなり、天皇直属の官僚としての保護と統制を受けたのである。

そして皇室職員を始め、武家、僧尼や部外の一切の者に対し、その書物を私有したり既む者は一年以上の労役刑、秘かに術を使った者は五年以上の禁固か死罪等の厳罰を科し、当時の警官「検非違使」により都や諸国での違反者「外法の者」「隠れ陰陽師」「化道の法師」等を徹底して取り締まったのである。

特筆す可きはこの「陰陽の頭」を託されたのが「賀茂氏」だった事である。賀茂家とは本来「役の行者小角」を祖とする家であり、役の小角とは神占術を極めた仙人であり前記「徐福」の血を引き (除福本人であるとの奇説もある)仙道、道教の方術を駆使し作ら日本の古神道と混交して「修験道の祖」となった人故明らかに民間系であり、この流れが天皇の皇統系の陰陽の頭となった事で

中国では対立して戦った二つの算命学の流れが日本では一体となったことで如何に騒乱殺数の世となっても天皇家を亡ぼそうとする者が現われなかったのである。

更に1000年頃には賀茂保憲の弟子に「安倍晴明」と言う大天才が出現し、以後その両家で役目を分担しながら共に一子相伝で陰陽の頭を務めたが賀茂家の血脈が絶えた事から「土御門家(つちみかどけ)」と名を安部氏の直系に1本化され、1683年には霊元天皇から「諸国陰陽道支配」の綸旨を受け「土御門神道」を創設し全国民間系の「占いの総師」の場をも兼ねたのであるが、その事で朝廷の独占体制は崩れた反面、武家や庶民の皇室に対する親近感や連帯性が高まり結果、本場中国各王朝が失敗し続けた皇統無窮の栄えを得たのである。

「陰陽寮」の占い部門が担当した実際の業務の内容は、敵対勢力に対する外交と謀略活動や戦争や抗争に対する必勝不敗の参謀機能。国民に対する宣撫活動。日常の自然現象を予測しての作物の豊穣や狩漁の安全指導。

皇室国家国民の為、日常の祈願防災。不断の星辰観望や占筮卜相による予言警告
、皇室祭祀式典行事のすべて。万世一系の皇室繁栄の為の寺社や幕陵の建立。

天穣無窮をもたらす王城、聖地の選択と造営等を任務とし特に新帝の即位や嗣子誕生に際しては、その君に懸る天命の全容を解き、一生の吉凶禍福のすべてを算命すると共に、その君が生涯を託す器である居城と城地に関しては160種を越す占技占法の極意秘伝の更に最奥究極の術を駆使し作ら一年余の歳月を掛け命掛けの占断を上呈したと伝えられている。

然しこの陰陽寮も国の律令体制の崩壊と共に急速にその独占力を失い将軍、守護大名や公御の私的カウンセラーとなり、僧侶と共に名ある陰陽師も朝廷と社会を掛け持ちで活動し、やがて豊臣秀吉の手で弾圧を受ける事で事実上の終篇となったのである。

王城、聖地

ここ迄の占いの歴史を見て解る事は、 本当の占いとは大自然界の法則を知り、その力を総合的に使えば天下国家を動かし、時代をも容易に一変せしめる様な巨大な威力を発揮するものであり、それは政治や戦争などの集団を対象に使われる場合と帝王を代表とする人物を対手に用いられて来た事が解り、一般の個人にあっては、その法術の内のほんの一部を用いるだけで事足れりとし、それを占いと思って来たのであった。

そこで個、人物を対象とする占いを前項の陰陽寮の仕事の内容に照らして見ると、最も重要とされたのがその人の宿命(役目)の全貌を知る事であり、 次いでその人物と家族の容れ物である土地と家を重視している。

つまり運とは、代々流れ伝わる家系と家族と言う枠の中での個人の吉凶を論じ、それが時代と環境と言う己にとっての自然を如何に踏破するかで成敗を決すると考えれば良いのである。

中心にみる占いの重要度は宿命が約65%、地相、 家相が(一体のものである)20%。名前と方位が各5%、その他の動態 (変化) を対象に5%のウエイトを置くとされている。

7世紀から始った陰陽寮による仕事の実績は中々に目覚ましいものであり、即ち数々の内乱や対立を鎮圧調整し、芸能文化の昴陽等に役立って来たが特に何度かの遷都を行い王城を築き陵墓を建設して皇室万代の基礎を確立した事は特筆に価するが、そこで用いられた方術を「四神相応術」と言う。

四神相応

『れいの着物ものがたり』さんより引用

四神とは四方位を鎮護する神獣を言い東の青竜、南に朱雀、西は自虎で北を守るのが玄武とあり、
中国最古の家相書「黄帝宅経(こうていたくきょう)」にある「宅は人の本にして陰陽の宅は即ち竜なり」に始まる文言を出典とし、以来今日迄流儀学統を問わず宅造選地の極意とされているが、これは少陰、老陰、小陽、老陽の四気のバランスを得る事で天地自然の律に同化し、富喜繁栄が自動的に発象すると言うもので

易の「坎兌震離(かんだしんり)」の卦象にも充当し吉祥限りなしとされ算命術では五常元法と言い、四神が中央に鎮座する本尊「騰蛇」を守護し永遠の栄えを得る法であるとし

例えば、伊勢神宮の内宮には「五色の居玉(ごしきのすえだま)の秘法」と言う術が施してある。

又この五神は東青、 南赤、 中央黄、 西白、北黒の各色に配分され根底にあるのは陰陽五行の理なのである。

 

更に四方位には東の清流、南の池、西の道路と北が山と言う地形が配当され、地上世界での理想郷
を形成し得るとの意をもつのであるが、こんな条件が揃った土地等滅多にあるものではない故
民間では四神を神獣の絵にして簡易化するのだが、それでも霊験絶大であり故に地宅の造営に限らずあらゆる降魔鎮霊(こうまちんれい)の術として広く用いられて居り、 例えば歴代天皇の即位の礼や元旦祝賀や主な祭典には四神図の御旗が大極殿や紫辰殿等に飾られるとか高松塚古墳の壁画にも画かれているし

又民間でも奈良薬師寺の本尊の台座に画かれていたり、地鎮祭の四方清土法やら大相撲の四本柱(房) の色等とあらゆる分野で鎮護の役割りを果たしている。

ここで天皇家での最重要課題であった王城聖都の決定の記録を調べてみると、第43代元明天皇の
「平城遷都の詔(へいじょうせんとのみことのり)」では「今回新たに皇都を決定した平城の地は昔から皇都の瑞祥とされている四禽(しきん)が東西南北に正しくあてはまる四神相応の地で又畝傍(うねび)、耳成(みみなし)、香具(かぐ)の三山が都の周囲にそびえて、ちょうど皇都の鎮護をなしている様な要害堅固の土地である。

のみならずあらゆる占法によって占ってみても、いずれも皇都として好適の地である。そこで平城の地への遷都を決定したのである」 と宣布されている。

現在の皇居は東京で旧千代田城であるが、それ迄の約1000年は、京都御所。この両宮城が中世以降の天皇家の住居であるが、両城共に300年の富貴繁栄と3000年の家系不易の大法術が施されている。

 

皇居宮殿:筆者撮影

京都平安京に皇都を開いたのは桓武天皇であるが、この天皇は神仙道に対する造詣が深く、皇居造栄に当っては古来伝説の三神山の内東方の霊峰 「蓬来山」を地上に表現し、人間界の理想とされる「桃源境」を現出すべく長岡京の造営に着手したのだが、どうしても一点
霊的鎮護力の欠陥を解消する事が出来ず建設途中にしてこれを捨て、改めて王城の地を京都に決めたのである。

この都は東に鴨川の流れ、南に巨椋池(おぐらいけ)があり、西は山陽と山陰道で北に般岡山(ふなおかやま)を備えた完全な「四神相応の霊地」に当り城郭内にも風水秘伝による「鬼門封じを施し」その他、内裏の周辺や背後には大将軍社を祭り

東南には弘法大師の祈祷所「神泉苑」を配し、中央の南北子午線を朱雀大路で明示した上で各方位(八方)に対して「玉晶宝珠法(ぎょくしょうほうじゅほう)」や「五嶽真形霊符(ごがくしんぎょうれいふ)の法」とか「西門通天法(しもんつうてんほう)」等の完壁な防御システムが施術され、更に効外鬼門押えに鞍馬寺、貴般神社を配し且つ比叡山延暦寺を建立して伝教大師の
天台一門を以て日常の祈祷調伏に当たらせたのであるが、これ等の総合的方術の効果は今日も尚天皇家一門に対し赫々と及び続けている。

先に豊臣家により没落した陰陽の頭、「土御門久脩」は「徳川家康」により復興を許され、その配下となって家康の天下取りに大いに陰の功を尽くしたのだが

今一人彼の側近の黒幕が天台の高僧「天海」であった。
ここで徳川家は皇統系の陰陽術と仙道、道教系神占術の両派を完全に掌握し偉業を達成したのだが、更に自家の永遠の栄えをその城地と居城によって得べく、この二人の占いのエキスパートに秘術の限りを施させた。

四神

先ず江戸と言う土地は東の平川の流れが南江戸湾に注ぎ、北に麹町の台地を備えておったので西に向い東海道の長道を拓く事で完全な「四神相応の大吉相地」と成し得

先ずその中心部の繁栄が約束づけられたのだが更にこの城郭は上野、本郷、小石川、牛込、麹町、麻布台、白金台の七つの台地に囲まれており、 これは又算命神占術、風水秘伝にある「交差明堂形(こうさめいどうけい)」と言う理想の地形に叶っており、この中心に江戸城を築いた事で宇宙の気が強力に引き寄せられ(正邪気共にである)

強烈な気界を形成し作ら渦紋状の発展拡大を無限に続けるのである。然しここに出来る気界は吉凶共に普通の場の100倍位の事象を発現する故、邪気魔風の進入を防ぐ事が方術の成敗の決め手となる。
故にそこへの施術がポイントであり、外見し得る術としては表鬼門に東叡山寛永寺を建立し更に神田明神を配置したのである。 又裏鬼門の押さえとして日技神社を移築し、北方日光に東照営を置き御三家を各方位の要所に収めて相続の万全を期している。だが最も重要な管の城内の施術については、
その一片たりとも外部には渡らさず極秘裡に行い一葉の資料も残しておらぬ故今日でも不明であるが、
わずかにその術効から逆推し又中国伝来の秘伝書に照らす事で術の内容を読み取る事が出来る

まとめ

結論として京都御所も江戸城もあらゆる招神降魔の諸術を十法以上も総合的に組み合わせて相乗重複の効果を持たせた完壁な霊的セキュリティシステムが施されてるからこそ天皇家も徳川氏も戦に敗れても尚且つその居城と血統は微動だにせず現代も尚3000年の栄えを歩み続けているのである。

算命学には皇統系と道教(仙道)系があって時代に翻弄されながらも対立することがなく歴史を綴ってきた文章を目にした時は鳥肌がたちました。

たったおひとりにでも必要とされてるかたに届きますよう願ってやみません♪

かわせみくん
かわせみくん

読んでくれてありがとう(^^)/

コメント

  1. 中島國江 より:

    凄い❗
    永い長い年月の歴史をここまで一本にまとめられるには如何程の資料を参考に為されましたでしょうか?又、執念に近い根気を感じました、私は枝葉末節の雑学と思われる部分的な点と点のみだけを独学で読み学んで参りましたのでこのような形で拝見できて有り難いです 改めて[易]を学びたくなりました

    • kagomeinfo より:

      コメントをくださりありがとうございました(*’▽’)
      中島さまが学ばれてこられた経緯もお聞かせくださり
      とても嬉しいです♪
      様ざまな歴史書やある『門下』に入って40年かかって到達しました結論です(^^♪
      中島さまが改めて『易』に触れていかれたいとの想いをもってくださったことが何よりです(^^)

      ありがとうございました
      かごめ

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