天中殺は戦国時代に輸入されていた?

晴明桔梗 天中殺

『天中殺』

みなさん「天中殺」というおどろおどろしい言葉😆は耳にされたことはありますでしょうか( ˘͈ ᵕ ˘͈  )

『大殺界』という言葉だったり土御門家が発端となった四柱推命術では「空亡」と表現してます✨

天中殺理論は今から約4000年位前の頃、今の中国の『殷』という国の創設者「成湯・湯王」(せいとう・とうおう)という人

天の神と地の神の2つに分けた考え方でお祀りした所から始まっているようです✨

その天と地の発想から、天地を合わせて10の神さま(空間で十干)を基準として

天と地を結ぶものが時間(時間で十二支)であると考えたようです😸

そしてその神様が通過する12の方向に対して神様が宿る所(空間)は10の場所となってふたつ余りが出てしまいます(ΦωΦ)

天気

ですので時間(十二支)は流れているけれど

神さま(空間)がいないという発想になったようですね🦄

これが天中殺の始まりだそうです\(//∇//)\

日本では『千利休』の時代に『天中殺理論』が輸入されたと第13代算命学宗家高尾義政さんが講演で言ってたのですけど

晴明神社千利休

晴明神社にある千利休の屋敷跡の石碑

師匠の資料の中にそれを裏付ける記述がありましたので紹介させていただきます✨

✨🔮✨🔮✨🔮✨🔮✨🔮✨

位人臣を極める大統領や総理大臣となるとその道にある人にとっては明日には死んでも良いから一度は手中に得たい椅子であるが

天中殺の風雲に乗って狙えば凡人でも可能となってくる

名前を挙げて申し訳ないが最近のお方では

◯◯さん、◯◯さん、◯◯◯さん、◯◯◯さんがいる

話を少しタイムスリップしてみよう

山岡荘八作『徳川家康』第16巻にこのような文章がある。

石田三成とその愛妾「お袖の方」との会話であるが

お袖の前身は博多小女郎とあり花街の遊女であるが

島井宗室、神屋宗湛、堺衆等の命を受け三成の元へ送り込まれた諜者でもあった

『お袖こなた男の心を見抜ける女子だ、たった一つの大きな見誤りを除けばのう』

「大きな見誤りとは……?」

『三成も話したい、誰かにこの苦しさを打ち明けたいが…

よいかお袖、もし打ち明けたらその相手を斬らねばならぬ

それゆえこなたはもう訊くな』

はい私が宗湛さまから何を頼まれたかよくご存知の殿でござります

宗湛さまは殿が内府と手を握る気かそれとも一戦なさる気か

これを探れと仰せられました」

『そうかこなたはこの屋敷で死ぬ気だったのか』

「ここで死ぬ気になった故、それでわざわざ申し上げるのでござります

殿はいま悪い星の下におわしまする」

『何でそなたにわかるぞ』

「ホホ…私の方が殿よりずっと不仕合わせになれてきているせいでござりましょう

人間には思いがけない仕合わせのめぐりかけてくるおりと

動けば動くほど身動きならぬ泥沼の底に落ち入る時がござりまする

『何をたわけたことを…』

「いいえ、それゆえ人間の一生に何度か訪れる悪い星のめぐり合はせがわかりませぬ

殿‼️お袖は生命(いのち)が惜しゅうて申しあげるのではない

この2年❗️そうと事を起こされまするな」

お袖はまた歌うような口調でいった

「星の悪いおりには身を慎んでそっとしているほうが良い。

そもないと生命にかかわる破綻がこよう。

10年働いて2年休め……

この2年、大切な眠りなのだと唐人の『五星道人』が柳町にいるおり私に諭へて(おしえて)くれました……」

『なに五星道人ぢゃと…?』

三成が聞き返すとお袖はコックリ腕の中でうなづいた

「算命学というのぢゃそうな、12年のうちどの様なよい星の下に生まれたお人にも2年はきっと悪い年がくる。この2年のうちに動くと生涯の破れをとると」

『ふーむ』

「道人がいっておいでであった。明智どのはその星をみずから卜うて(占って)知っておられながら動いた故、三日天下……

いいえ太閤さまもその悪い星の下で2度目の戦をおはじめなされた

これはきっと生命取りになるであろうと」

三成はわなわなと震え出した。

三成も戦場で星を卜う軍師の存在は耳にしている。

いや光秀はその道の達人だったとも聞かされていた。

それだけにお袖の今の言葉はグサリと心に白刃を突き立ててくるのであった。

『ハハハ…それがそなたのわしへの意見か…』

はい太閤さまがお亡くなりになられた日が殿にとっては生涯の最悪日…

それから2年と数えていけば来年の8月下旬までは動いてはならぬという答えが出る。

殿、どんなにお腹立ちのタネがあろうと、それまではじっと心をしずめられ内府の様子をご覧下されませぬか

三成は狼狽した。決してお袖の言葉をそのまま信じるのではない

が来年の8月下旬までじっと様子を見ていけとは三成もまんざら考えない事ではなかったからだ……。

殿が悪い星の下にあるおりは逆に内府にとっては仕合わせの年かも知れませぬ…

明智さまにとって最悪の日が若いおりの太閤さまにとっていちばん良い日であったように…」

『いうな!もうよい!その意見はもう遅いわ!』

三成はふたたび激しくお袖を突き放した

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この山岡先生の文章の中に当時の天下を動かしていた『算命学』がチラリと顔をのぞかせており

また、関わりの深い人物の星と星とは大いに一生の大事を左右しあう事や自分で考えたつもりのことが宿命によって思わされている事等を示しています

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