『幸せの世界 神占術招運法』⑮
×成る程、「1/3人間」と世相は同じだと言う訳ですね。
ここには地上での幸せはないと。
悪玉と言った意味が解りました。
では個人の2/3の腹脳を輝かせて 「完全人間」に進化すれば世の中も人も幸せを手中に出来ると聞こえますが、どうも今一つ、人間そのものを開発すると言う事との「運とか幸せ」の結び付きが鮮明じゃないのですが。
○運や幸せを抜きに人間は語れず又人間を抜きに運と幸せを論じる事も出来ません。
何故ならば人は一人の例外もなく運を持ち幸せを希うからです。
つまり運や幸せは人間あってのもので動物や植物には不要のものでしょう。
更に宇宙や自然界には運もなければ幸不幸もありません。
そこには生かす力と在らしめる律法則しかないのです。
運はその法則に叶うか叛くかであり、 人と宇宙を関連させ、幸せは人間が地球の上に生存する期間に求めるものゆえ
人は天と地の間をつなぐ者であるとの先の人間観になるのです。
そして2/3の腹脳は天に繋がり、1/3の智脳は地に根ざしているのですから、天の糸を切った人にほんとうの運をむかえる事は出来ず幸せはないと言うのも自然な考え方であり、その腹脳を開けば、天の糸が結ばれ、天恵が得られます。
とまあ簡単に捉え、解って下されば、即ほんとうの幸せへの扉を開いた事になります。
×解りました。自分を開く事と運と幸せはつながりました。 では自分を開く (覚でしたね) ためには今
自分の中で暴若無人に振る舞っている1/3の智とか我執の様な奴を追放すれば良いのですね
無心になって祈ったら叶ったとか、 無我の境地を得た時に名人級の仕事が出来ただの信じられない
力が出たとか、或る一点に自分のすべてを集中して思考力を失った時に奇跡が現れただの火事場の
馬鹿力や超能力の開発、座禅、瞑想、 催眠、暗示、と皆1/3の「我」を捨てる事で効果があるのですね。
○ミソクソ一緒でやや短絡的ですが、 一歩前進です。
世間一般ではそれ等を正解としますが霞堂の世界では「Noで落第」です。
×何故でしょう、「我」を捨て去れば 「真我」が輝き1/3が活躍するから悟り、 超人力を得、 望む事叶うのではなかったですか。
○少し違っていて、そこが根本の間違いです。
いいですか、 貴方とは2/3と1/3が「+して =1」で貴方だったですね。1/3が悪玉だからと言って、追放して終ってはいけないのです。
前にも言いましたが片方を失って終うと即人間ではなくなるので今貴方が言った色々の行法や修法では、只両者が入れ替わっただけで片端人間である事は変わりなく
死ぬか人間失格つまり、社会生活不能者とか世間のお荷物になるのです。
だから具体的に言えば、もし坊さんが禅で正覚を得ても、山中に独居するなら知らず、寺にはいって世間に向き合い人間を対手にするとまるで通じません。
但し生活禅とか行動禅と言った立派なものもたくさんあります。
又暗示や催眠で潜在能力を働かせ、今迄以上の能力を揮ったり、大きなものを得たとした場合でも、やはりその時だけの付け焼き刃でしかありません。
だから 「我」をなくすのではないのです。智能、現実の1/3はしっかり残して分に合う働き方をして頂くのです。
もう一つ、貴方や諸行法の間違いは、「我」を捨てれば真我が勝手に輝くと勘違いして居り
古来より我を捨てた代わりに邪神悪霊に身を占められたとか、自我も捨てたが真我も寝たままと言う「呆け」になった話は枚挙にいとまありません。
だから肝心なのは「捨てる事を考えるのではなく眠っている腹脳を起こして働ける様に鍛えれば良い」のです。
そして2/3が力を揮い始めると、自然と自分の中の陰陽が調和され、それぞれが応分の役割を果たしつつ「人間」として輝くのであって
決して、どちらかを疎外したり軽んじてはいけません。
何故なのかは、貴方が「人間」としてこの世に生を受けたと言う貴方にとっての自然の容がすべてだからです。
ちとややこしくて難解でしたか。
×いや、はっきりではないがおおよその意味は解りました。
では自分の中の御本尊とか神様と言える魂を、自覚し体認すれば、自分に対する自然である宿命が
活動活発となり幸運が訪れるのですね。
…と言う事は宿命とは幸せの運なのですか。
そしてもう一つ自分の腹脳を目覚めさす為には何か特別な修行でもするのでしょうか。
それだと少し無理な様な気がするのですが。
○先ず行法ですが確かにあります。
現在霞堂がと言うより死ぬ迄私が夢中で続けるであろう「仙道」の行こそはその最高の行修法であろうと思っていますが、貴方や一般の人が幸せを得ることでしたらそんなに深いものを求める事もないでしょう。
ただ時々霞堂と逢いながら、当たり前の事が当たり前に見える様になり、普通の生活、日常茶飯事の中から、自分に対する自然 (宿命) の意を読み取る習慣をつけて頂けばそれで充分です。
その為に玄明館は一度「結縁」を戴いたら、私の生存中終生の親戚付き合いをお願いし「継続領導」と言うシステムをとっているのです。
この場合の貴方の「覚」は貴方の「智能」によって即ち「智能が腹能を覚醒させる」事になるので、
前問の「我と真我」が共に輝き一体になるとか、 我執だからとて捨てては駄目だ、となり又以前に述
べた智性の向上の究極は悟りであるとの意味なのです。
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