算命学 運命とは

算命学の運命とは 算命学

⑨運命とは
宿命は、貴方の元になっている運で、宇宙生命に繋がっている2/3で動かし難い生存条件をもたらし

貴方自身も意識しない「魂」の2/3と、考え行動する1/3の「我」で、成り立っているのでしたね

そこを、もう一度鮮明にしておきましょう。

今貴方は、そこに座っています。静止している自分を自覚しているでしょう。

絶対の事実であり真理です。
しかしその貴方を宇宙の或る所から眺め、証拠として、ビデオカメラで撮影してみましょうか。

そこに映し出された貴方は、地球と言う球の背にまたがり、足下の地球と共に時速10万メートル(地球の自転速度)の猛烈なスピードで、昼夜の別なく宇宙空間を吹っ飛んでいます。

 

火の気も燃料もないのに36度の熱をもつエネルギーの固まりですから、光を発する球であり、微小な地球のカケラか、
地球の子供の様な感じでしょうか。

当然現実の貴方からはみえません。感じる事もない自分です。

しかしこれも、まぎれもない事実であり、否定する事は出来ません

前者が「実在」1/3の貴方で、後者が「実相」の2/3の貴方で、どちらも 「ほんもの」です。

この「実相」の貴方の、足下の地球をヒョイと取り外すと、(地球がない、は死ぬと言う事で、物思う貴方は消滅する)本来の貴方だけが、単独で宇宙の旅を続けます。

死から帰った人や、霊界を往来出来る人の言葉と一致します。

現実界の貴方は、地球から生えた物質であり、死ぬと地球に帰化するのは、草や木や鳥獣と同じです。

実相界の貴方は、宇宙の「気」の固まりであり、又宇宙に無数に散在する「先祖の霊気」をも吸収されて出来た「サダメ」で出来て居り、わずかに、選択変更の余地しか許されぬ生存範囲です。

何十年の地上生命であるとか、男である、女である等で、若し人でないならば、桜の気であるとか、大根の気であるみたいなもので、桜は、春に逢わねば花を開く事は出来ぬし、大根は、幹をのばして実を成らせよう等とは、考えない方が自然で良い生き方である、と言いました。

しかし自然は貴方に地上生命を与えた時に、肉体と共に、生きている間だけ使える「知能と心」と言う自由をも貸し与え
てくれました。

知能と心は、宇宙の「気」と、物質·肉体の継ぎの働きをすると共に、そのどちらへも自由に出入り出来ます。

何でも、思い考える事が出来、どこへでも時間を越えて自在に飛び廻れます。

この「生きている間に限り使える大きな自由」、これが自分の「運命」を創って行きます。

貴方が主役です。

桜を温室に入れて、冬の間に満開に咲かす事が出来るし、宿命の枠を飛び越えて、大実業家になる事も目指せるし、美空ひばり的にとか、何十人のオナゴをハべらせて、日夜、桃源境 に遊ぶ夢を見るも自由です。

極端な人は、男であるのに女で生きたいとか、昔の人では、「不老不死」を望む者さえあった位、何でも望む事が出来、如何なる自由をも、自分の為に駆使する事が許されています。

そしてその願望を目指して、懸命に闘えば、願いの通りと行かない迄も、或る程度迄はほとんど叶います。

この場合 「我と執着」の強い人程、目標に近づき易く、又「心の法則」を利用すれば、更に効果は上がりましょう。

「目に見えないものを使えば、見える世界を創り出せる」法則によってです。

よって、この願望の自由による人生は、「夢はことごとく叶う」が運命の原則で、心や知能が宿命や霊界の「一部を或いは一時的に」変え得るのです。(三分の一迄)

しかし最も肝心なのは

「叶う事は、法則により与えられ、善い事も悪い事も差別はなく公平に叶う」

と言う事で、例えば貴方が前途の不安におびえたり、心配事に強く執心 したとか言う事も皆、願望として叶えられ、又極端な例は呪眼や丑の刻参り迄が叶う世界なのです。

キリストは 「求めよさらば与えられん」と言っていますが……。

宗教の世界では「正しい願いは必ず叶う」と口を揃えて言いますが「正しくない(自分では絶対正しいと信じての事も含む)願いも叶えられる」のが、宇宙の法則の恐ろしさである事を知っていなければなりません。(不安や恐れもそのまま祈りです)

例えば、心の法則を書いた書物がベストセラーになり、とかテレビで占った当て物が大反響を得た等で、集まった善男善女と言うか、凡男愚女と言う可きかの人々がテンデに家を得たい、地位を上げたい、何千万かを手中にしたい等が叶いました、と大喜びするが、この人々の九十%以上は幸せの終りを全うする事はありません。

何故ならば、地上にある有限のものは最終的には、片寄る事は有り得ず又自分に備わっていないものを得れば必ず代りを失います。

ただその願望が、自分に与えられている宿命に適していた時は、「素晴らしき人生」が実現し「永遠の栄え」を手中にし、これに近い生き方の人も結構います。

故に運命は、宿命を知っていて使うのと、運命だけを行使して生きるのとでは、天地の差があり、運命だけを行使して生きる場合は、目かくしをして競争をしている様なもので、行き先がゴールであるかどうかは、運次第と言う事になります。

又心と知能が選び「願望」とする場合、人間の歩く道は一つしかなく、やり直しは利かず、後戻りは許されていないので、何十年間を常に「自分の尺度」が、最善の選択をし続ける事はあり得ません。

宿命は、「宿る命」ですから、そのま、表現するだけで生きて行けますが、運命は「運ぶ命」ですから、自分で運ばなければならず、その分シンドイ運です。

つまり、人が考える事、望む事は、自由で無限だが、生きている限りは肉体と言う重い荷物を持ち歩いており寸時も手離す事は出来ません。

故に望む事、選ぶ自由の範囲は、肉体がついていける巾に限定されます。

「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し」と徳川さんは言いましたが、こんな面でも成る程とうなずかせてくれま
す。

段々にまとまって来ました。運命とは宇宙の律法と心が綾なして作られる。
運命は自由に選んでいる様でも、知らずに宿命の枠内が、その近くを歩んでいる。

運命が最終的に自分に味方しているかどうかは、最後にならぬと判らない。

宿命は、自然の律法であり、宿命自体に幸不幸はなく、生きる為の必要な条件を与えるのみであり、幸不幸は、人間側の都合で言われる事である。

人の知能と心の自由によって招かれ、創られて行く運命は、「人に幸不幸をもたらす。但し、その稼働範囲は1/3である」と結論が出ました。

玄明館が貴方と結縁成ると、先ず最初の面談で貴方と御家族全員の宿命の概要を提示します。
(宿命基本観貞です)

それ迄の貴方は、宿命の2/3に生かされながら、残りの1/3を宿命にどれだけ合う生き方をして来たか、どこが一番外れているか、等をチェックします。

この 「宿命基本観貞」が当たる率は宿命にほ近く、賢い生き方を選んで来た人は、「幸運の人」で、90%以上の確率で当たっていますがそんな人はまず稀です。

宿命の残り1/3を、半々位に歩くのが 「普通の人」で、約80%前後当たる。

年代が若くて、未だ宿命が発象 し切っていない人や、相当 「我」が強く、突っ張って生きてる人は、2/3の65%前後で、相当「苦労して来た人」

それ以上に、霞堂の占いが外れている人は、想像を絶する宿業を背負い、修羅場を「のたうって」生きて来た人か、真近に死期が迫っている人であると言う事です。

故に、自分に与えられている
自由を駆使して、運命を迎え、そして創って行くと言う事は、たった1/3とは言え、大変に重要な意味を持つ事となります。上手に選び、運命を生かして宿命を消化すれば、天命を 全 うし、安心立命 の彼岸に至り、日々是好日を得る事も出来。又前項の世人に「尽くして求めぬ」生き方(延命法でもある)での、昇運も出来るが反面、自我執着を振りかざし、我が手で自らを不幸に向けて駆り立て、死を目指して盲進爆走させる事も、自由に選べる「諸刃の剣」でもあるのが運命です。

ここで、最も悪い選び方をした人の例を一つ。

私が3年前から領導したお方ですが、この人の宿命は、「狂濁怒嵩 」の人生を歩み、天下を制し百才の寿を得るか、自ら蒸発し、千潟と変えて屍を晒すか。

と言う極端な人でした。

霊等(品性)は中の下、家系は地方の名家で、栄枯はこの人の代で飛期か消滅を分け、親の恩徳はなく、子供あっても縁はない、女性多く良くも悪くも人生を左右する。

智恵、名誉は抜群、寿は長く
病気で死ぬ事は無いが、事故、怪我に極度に弱し。

性格、過熱、過強も外面柔和で、他人の評価は「底無し沼」。

30才迄は言語を絶する破乱を経て後、女性によって天に昇る。

50才を前後する10年、昇天の運を「天に返して吉、自ら納めるは爆死」とまあ、こんな感じです。

私が逢った時が49才。

30才迄妻を2回変え、仕事は4回変えるも結果は借金の山で、夜逃げ2回、自殺未遂1回を経て、
31才で友人の資本で自分が実務担当の夜の店を経営。
2年で支店を出した処で友人急死、孤独の人だったので、そっくり入手、5年後にすべてを処分して不動産会社設立、超急成長で46才で市の最多額納税社。

妻の他に、社内に1人、外国に2人の愛人、初婚の妻に長男あるも家出して結婚、孫二人。

最初に合ってから2年後、51才の頃の会話、
社長、丁度正念場に掛かっています。仕事を続けると危ない(本人も迷っていた)です。貴方の
仕事は「女か水」故、決断するなら今をおいてありません。

ウン、霞堂さんには株で倍にしてもらったが、それ以外の事は此の頃半分位しか当たらんよ(危ない) 未だ勉強が足らんね。
仕事は飽きたし、もう切った張ったもくたびれた、会社を止めて金を動かすだけで楽しくやろうと思う。

口に出したら止まらぬ人故、何も言いませんが、これからの一年、身辺の前兆に御注意下さい。それから、財は半分位は逃げようとしますが、止めないで下さい。

そりゃないよ、今は何もしなくもふえ続けて居るのだから。

それから半年の間に、妻、交通事故で植物人間に、息子麻薬関連で刺殺、母死亡と続き、株下がり始め、糖尿病発症、平成3年春、何の理由も見当たらずに、自殺。最も愛した社内の女性を道連れにする。

残された財30億とか、遺書はなく、一応は自殺と判定さるも、或いは事故もなしとはせず。

更には、30才年下の彼女の方が逆に道連れにしたケースも。真相不明も、と結果は出たのである。

最後に逢った時、山梨の温泉買収の話しありと聞き大賛成したのだが、母の葬儀の時で話し途中で終わる。温泉を買って、望み通り株いじりをしていて呉れたら、水の宿命に戻り株暴落で財は半減し、全く別の運が目前迄 訪 れていたのに、と悔やむも詮なし。

この人を失ってから霞堂は、現在の玄明館の形態に変えたのです。

出来るだけヒンパンに交じわり、継続領導を主にしながら、皆さんの自由が選ぶ奔馬濁流 の運命を看守しつつ全力で尽くし切る態勢をと願ってです。

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