『老と若』
高尾宗家のコラムより♪
どの人間にも冷静な面と情熱を燃やす面とがあって、それぞれにその分量と度合が違うわけです。
またこの二つは人生における年齢によっても違い
若い時には情熱的な面が多く
年老いてからは冷静になるものです。
ところが人生には、何らかに向かって前進しなければならない時と、静かに時を待たなければならない時とあり
その時々に上手に使い分けられればよいのですが、人間というものはそんなに調子よくできているものではありません。
人間の性格はや、どちらかに偏っているもので、その偏りが個性というものであるわけです。
そこでこの偏りに着目した発想が、占いにおける性格判定の基礎をつくるもので、情熱的な面を「若い」として考え、冷静な面を「老い」として考えるのです。
「若くても老いたるが如し」という言葉通り、この若と老は年齢に関係なく所有しているわけです。
冷静で老の人は総体的に運の浮沈が少なく、情熱的な若の人は人生の波が大きいのです。
誰も占い師でなくとも、人生をあるていど歩んできた人ならば、当たり前のこととして受け止めることができるはずです。
これを占い的にいえば、情熱的な人のほうが若年運とよばれる運命になり、世の中に出て早いうちに成功していきます。
ところが俗に「厄年」とよばれている四十一、二歳になると、大きな谷間が待ちかまえていて、壮年期に大変苦労する人が多いようです。
それは情熱といえるものが、細く長く出しにくいエネルギーだからであり、もし細く長く発揮したら、すでに情熱ではないわけです。
算命学の宇源集から情熱の項をひくと「吉凶を所有しない自己への怒り」と出ていますが、自分自身の心の中に何らかの形で飢えるものがなければ、情熱は現れてこないのです。
知識に飢えたり、財力に飢えたりすると、その飢えが反転して強い欲望となります。
欲望が行動力と一緒になった時に情熱が生まれてくるわけで、それがまた若さでもあるのです。
このように考えてくると、若さの根源には最大の欲張りが出てくるようですが、常に情熱的な人生を歩みたいと願う人がいればいつもどこか一ヵ所に飢えたものを、もつべきです。
そして、それを怒りに変えて行動するわけです。
組織の中に身を置く人も、怒りのない人はトップに立つことはできないでしょう。
なぜならば、前進力が小さくなってしまうからです。
この性格は、物事の推進力となり、情熱的な人の補佐役として、冷静な人がその下で働けば、集団はおのずから発展することになります。
しかし、一つの集団が安定期にやってきたら、冷静な人がトップになって情熱的な人が補佐をつとめるほうが安全です。
いつまでも情熱家がトップにいると、一時期は隆盛になっても、そのうちに波乱がやってくることになるのです。
もっとも理想をいえば、若い時代を情熱的に老いて冷静になってください、といえるでしょう。
長い人生の中で何度かの情熱と冷静を繰り返せば、きっと心の次元が高くなることは確かです。
✨😸✨😸✨😸✨😸✨😸✨😸
算命学では心の次元という言葉が何度も出てまいります( ˘͈ ᵕ ˘͈ )
心というのは『霊魂』と『肉体』が一緒になって初めて生まれるもので目に見えないけど
間違いなく存在するものです*ˊᵕˋ)੭
その心は幸不幸を感じたり
人生行程に対して
『コーディネーター』になったり
または『ネゴシエーター』になったりするものなんだそうですね🌟
今日もお目を通してくださりありがとうございました\(//∇//)\



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