算命学で自分の宿命を知る方法

算命学で自分の宿命を知る 算命学

自分の宿命を知る事
先ず、自分を一度ボンヤリと見直してみましょう。
日本と言う国、この国の何県、何町に生まれた、貴方にみえる国や町を、良い国や狭い国とか、貧しい町とか百年一日の様な町等と簡潔にです。

桜とめじろ

次は時代です。生まれた時、育った時期の世界は、日本は、動乱とか安定、物質科学全盛だの人心騒乱期、自然、精神回帰指向とかの様にです。

今度は家系です。知っている限りのルーツと、家柄や血筋の質や特徴等、そして親に入って下さい。

父は、母は、どちらかの外から入った方は、その家系も加えます。自分が見た親の仕事、性格その他、なるべくくわしく。

そして親以外の身辺人々。身内以外でも特に強く自分に影響を与えた人物等。

そしていよいよ自分様ですが、これは他の事とは別に書いて下さい
自分とは「○○人間である」「知性派、か行動型か」「どんな育てられ方をしたか」「何が好きで
嫌いな事やものは」「協調型か孤独派か」「気は強い、弱い」「優しい、冷たい」「素直だ、反抗心
が強い」「プライドは」「決断力は」「意志の強弱」「粘り強さ」等の精神性や性格面と明暗等も
更に、知能や肉体に関する分野を。

頭の良さは、記憶、判断、直感力のどこが優れているか
「外見の、他人の評価は。美人、ハンサムの部類か否か」
「筋肉質とか、肥満型とか」
「健康度は」等々の他、出来るだけ多く書き出します。

一項目一行の個条書きにです。
24才を過ぎた人は、それ迄あった事を又別項で並べ書きして下さい。
これを気軽に他人事の様に読むと、そこに必ず本当の自分がボーッと浮かんで来ますが、来ない場合は、何度かくり返すのです。

その浮き上がった自分を見ていると、この人が何の為に生まれて来たのかと言う 「今生での役割り」も、おぼろげながら読めて参ります。

此の方法では年令を重ねた人程、鮮明に出ます。
要領 は、自分の意見や考えを差し狭まない事、あく迄第三者的に視るのです。玄明館に結緑成ったお方には、私が、貴方と言う星と、貴方に関わる身辺の星を分析し、計算する事で、ほぼ正確な貴方の「星の一生」を、顕彰致します。
(ちなみに算命とは命を計算するとか宿命を数える等の意味です)

そこに現われた貴方が「本当の自分」であり、色々な性格や特徴は、自然(天)が貴方に対し、
この道具を使って自分の役目を果たしなさい」と言う、「天の声、神からのメッセージ」なのです。

それに添った生き方を職業の面で言うならば 「天職 使命に生きる人」と言う事になり、特別な努力や、無理をしなくとも、器応分の財、地位、名誉が自然と備わって来るのは絶対確実です。

普通の運を持った人は、色々と自分で人生を選択し、常に自分で考え年ら行動している積もりですが、実は、知らず知らずに、自分の持つ宿命の周辺を歩いて、否歩かされているものなのです。

然し「我」が強く「私が選んだ以上、私はこの方向以外は断じて歩きません」と突っ張り、それが宿命に反している場合(非常に多い)、自然は元の宿命の通る道へ戻る様、修復作用を及ぼします。

その時現われる現象が、病気であるとか、破産、離別、争い事等の「不運、厄災」の実体で「自然作用」「浄化作用」等と呼びます。

だから、本当は命に別条が無い限りは、辛抱し、甘受して、やり過ごして終えば、元の宿命道に戻り、「労せずして満たされる人生」が待っているのに、悲しい事に大多数の人は、その場逃れに狂奔 し、そしてやる事は大抵 「お定まりのパターン」です。

先の我執が空しい物を追い求めたと同じように、無理な努力をして更に深みにはまるか
狂信盲従 の徒に走る、除霊、祈稿、改名、改印、改墓、方位、家相、その他諸々の開運除難の法を講じたり、様々な治療法や健康法等を、求めて奔走します。

悩んでる

そして結果的には、余程悪いものにぶつからぬ限り、一度は大抵それなりの効果を得られるのです
が、実際は原因を残したま、の対症処置をしたのですから、必ずや又繰り返しが来るのは極めて当然」な訳です。

その様な事を何度かくり返しら、更に宿命から外れる巾を大きくして行くと、待っているのは
「宇宙空間の無限の場、即ち死」であり、それを「自縛死」と言い、「自然淘汰」とも言います。
この死は天寿、天命を完うしての「与えられた死」や「定めによる死」ではなく、自ら飛び込んで行く彼の世「自殺界」なので、当然地上でやり残した「役目」が残る訳ですから、子供や子孫に「宿業」として残り、且つ、自分の来世にも引き継いで行く事になります。

それでは人はまるで、宿命の奴隷であり、自然の言いなりの生物であって、人である自分の存在が余りにも影が薄いじゃないか。まして、自分であり年ら余り良く知らない他人の様な存在を 「ほんとうのお前」だ。と言われても、オイソレとは承服出来難いし、不幸や災いも幾ら後が良くなると言っても、避けなくて良いと言われると立つ瀬がないよ。

とおっしゃるでしょう。
ところがそこが「ポイント」なのです。
いくら貴方が、素敵な未来に願望を抱こうと、大きな幸せを得たいと願おうとも、ちっぽけな人力や、
小手先の技を頼りにしている限りは、蟷螂の斧であって、得るものは何とも貧弱なものでしかないのです。

自然が、人間にとって如何に大きな力を振うかは、本編を肯定しようとしまいとに拘わらず、ただ現実の自然界を見るだけでも良し、又人間と自然の歴史上の関係を考えて見ると明々白々の理です。

自分達を産み、今も現に私を在らしめているこの偉大な恵みのパワーを、利用しないでどこに吾が為の用となる力があると言えるのでしょう。

そしてもう一つの自然は貴方を押し流して生かす力です。
自然には、シャッポを脱だ方が得なのです。自然が個人に作用するのは、宿命によってですから、宿命を味方にすればそれで良いのです。

 

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