高尾宗家のコラム『夢』

60干支

『夢』

高尾宗家のコラムより♪

人間はどんな時でも夢を見ます。

就寝中の夢ではなく、人生の夢です。人間の夢や希望などは、大まかに分けると二つに区分することができます。

一つは「有願(ゆうがん)」といわれている夢や願いのことで、常に現実に立脚し、ある意味では、環境によって生まれた願望なのです。

たとえば、幼少期に貧困の中で育ち、物質的な苦労が非常に多かった。そのために、おとなになったとき、財力を身につけることを心がけたりする。

このような夢が有願なのですが、有願には運命の神が味方してくれないという苦しさがあります。

人間の夢にも運命の神が味方してくれる夢と、味方してくれない夢とがあり、ただファイトさえ燃やせばよいというものでもないのです。

なぜかというと、有願は自分本来の姿ではなく、環境によって生まれた願望です。

言い換えれば、自分を薬にして、それ以外の薬が自分に心の中に入ってきて、他力的に化学変化を起こしたようなものです。

そのために化学変化を起こしたエネルギーを、ある期間内に燃焼させなければ、自分の本当の姿が現れてきません。

化学変化を起こすということは、余分なエネルギーが付着するということで、早く洗い落とさなければ、真の自分自身が見られなくなってきます。

このような環境によって付着したエネルギー(想念)は、ある種の活力になるわけですから、外目的にはファイトのある人、頑張り屋の人という印象を与えます。

しかし、天の神は手助けをせず、人間自身がどれだけの努力で燃焼させ洗い流すかを、じっと見守っています。

運命学では、この余分なエネルギーを洗い清めるまで、長い人で五十年、短い人で二十年と言い伝えられています。

二十年なり三十年の年月をかけ、環境によって生まれた願望を消化すると、そこにはじめて真の自分が現れ、運命の神がおら立ち上がって、それからの人生に手助けをしてくれるのです。

人間は有願を満足させ、燃焼させた段階で、はじめて自分の心の中から、環境に関係のない夢が生まれてきます。

それが人間にとって、真実の夢なのです。

同時に本当の自分なのです。余分なエネルギーを洗い落とした後に生まれ出る夢を「無願(むがん)」といいます。

人間が無願を得るようになれば、特別の信仰心がなくとも、常に神の力に気がつくようになります。

まだ有願の世界で無我夢中になって働き、頑張っている間は、あまり神の力を感じません。

感じるのは、自分の努力と力量だけです。

しかし、それでよいのです。けっして悪いことではありません。

有願の中にいる間は、神にも仏にもたよらないで頑張ってください。

神は見ているだけです。

それでも、有願をいつまでも消化出来ない人は、生涯無願の喜びを知らないまま、あの世へ行かなければなりません。

もし自分の力量不足で有願の燃焼をしきれない人は、大いに神に願い、信仰心を持ち、神を信じることに多大なエネルギーを使ってください。

その消耗の中に、余分なエネルギーが消えていきます。

無願の世界はあるがままの生き方をしていて、自然に神が目的の地へつれて行ってくれます。

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夢には有願と無願があるようです♪

今日もお目を通してくださりありがとうございました😊

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